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バッタンバンで晴読雨耕

バッタンバンを中心としたカンボジア北西部の情報ブログ-大学教育、地雷、農業、開発、投資に関する話題から ホテル、レストラン情報まで

 

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カンボジア北西部における日本軍の活動

かねてから関心のあったテーマ、
カンボジアにおける日本軍の活動について簡単な調査を行った。
調査を実施したのはバンティアイミアンチェイ州モンコルボレイ郡。

調査のきっかけは、
知人の祖母が1940年代前後に、
モンコルボレイで日本の軍人を見かけたことがあるという話を聞いたことであった。
残念ながら、
そのおばあさんはすでにお亡くなりで、
他に当時の記憶のある方を探したところ、
1929年生まれのおじいさん(87歳)にお会いすることが出来た。

高齢ながら、
当時13、14歳の記憶は今も鮮明で、
おじさんは以下のような話を語ってくれた。

1.1940年頃、タイの軍人と一緒にトラックに乗る日本の軍人を時折見かけることがあった。
  日本兵はきちんとした身なりで、髪は短髪、制服と帽子を被っていた。
  1台のトラックには6、7人の日本兵が乗っていた。

2.日本軍の主な任務はタイとカンボジアを繋ぐ鉄道の警備で、
  任務にはタイの軍隊と共同で当たっていた。

3.当時、プノンペンにはフランス軍がいたが、北西部でフランスの軍人を見ることはなかった。
  フランス軍は日本軍を恐れていた。
  日本軍は非常に強いという印象を持っていた。

4.日本の軍隊は非常に規律正しく、それが日本軍の強さの秘訣であったと思う。
  地元の人々が食料等を無償で提供しようとしても、部隊長の許可なしでは受け取ることはなかった。
  また、盗難等の犯罪を犯す者(軍人)はなく、犯罪があった場合、正式な調査が行われ、
  犯罪を犯した者は厳しく罰せられる規則があるとバッタンバンの友人に聞いたことがある。

5.日本軍が飛行機に乗っているのを見たことがある。
  地上から攻撃されることを恐れないというように、低空で飛んでいたのを覚えている。

6.日本軍はサルを軍事目的で訓練し、
  タイの軍人に聞いたところ、手投げ弾を投げることが出来るとの話であった。

7.日本軍はワット・ルベアに木造の橋を建設した。
  建設した理由は既存の橋が爆撃された後でも、タイとの交通網を確保することであった。

8.お坊さんらとバンコクへ行った際、
  ファーランポーン駅(バンコク中心部の駅)でマレー半島、ビルマ等に出発する日本兵を見た。

文献等によれば、
1945年には明号作戦というフランス軍を駆逐する軍事活動があったというが、
特にそれに関する記憶はないとのこと。
実際、現在のバンティアイミアンチェイ周辺においては、
軍事衝突はなかったのであろう。

すでに80年近い年月を経ており、
当時のことを記憶している方も僅かな状況である。

カンボジアに関る日本人の1人として、
こうした記録を残していかなければならないだろう。
調査継続である。
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Comments

 
まだ調査は続けていらっしゃるのですか?
Re: タイトルなし 
バッタンバン市内でも聞き取りのために当時を知る方を探しておりますが、
見つかっておりません。
文献についての収集も行っておりますが、
こちらも一次資料はなかなか見つからずといった状況です。

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プロフィール

バッタンバン長

Author:バッタンバン長
カンボジア王国バッタンバン在住、バッタンバン長です。
バッタンバンを中心に、開発援助業務、大学講師、社会調査、日系企業進出・投資のお手伝い等をやっております。
お問い合わせ等は、下のメールフォームからお願いします。

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