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バッタンバンで晴読雨耕

バッタンバンを中心としたカンボジア北西部の情報ブログ-大学教育、地雷、農業、開発、投資に関する話題から ホテル、レストラン情報まで

 

書籍 「Battambang during the Time of Lord Governer」

「Battambang during the Time of the Lord Governer」

(著:Tauch Chhuong、出版:Cedorec、1994年)


バッタンバンについて書かれた本は、

言語を問わず少ない。


この「Battambang during the Time of the Lord Governer」は、

1974年にクメール語で書かれた本の英訳で、

18世紀、タイ領であった頃のバッタンバンについて知ることができる数少ない貴重な資料である。


残念ながら、

現在国内で売られている版は、

程度の悪いコピー本ばかりであるが、

それでも手に入るだけありがたい。


この本の題名にあるLord GovernerとはChavfea Baen家のことで、

1795年から1907年までの間、

バッタンバンからシェムリアップまでの地域を

6世代に渡って治めていた領主(本物のバッタン番長)である。


1884年のバッタンバンの人口は約10万人であったと推測されており、

そのうちクメール人は6万人で、

他はタイ人を名乗るクメール人が2万人で、

他にはラオス人、中国人、ビルマ人(それぞれ6千人)やベトナム人(5千人)と、

なかなか国際的な状況だったようである。

(1921年の国勢調査におけるバッタンバンの人口は約30万人であることから、

この統計には疑問もあるそうだ。)


稲作は貴族たちが奴隷を使って行っていたのがほとんどで、

これもそれほど盛んではなかったそうだ。

農機具は古いものばかりで、

新しく土地を開墾することもほとんどなかったという。

貴族は耕作自体にあまり関心はなく、

奴隷たちも主人に怒られることを気にするだけで労働意欲は低かったらしい。


対照的に盛んだったのはトンレサップ湖での漁業だそうで、

漁業権の多くは中国人によって買われ、

ベトナム人などが実際の漁を行う仕組みだったようだ。

現在よりも魚は豊富だったようで、

小魚類は食べずに全てプロホックづくりに使われていたとのこと。


商売は行っていたのもやはり中国人で、

当時を知る人の証言として、

1907年頃のバッタンバン市内には

漢方の店が2軒、写真館が1軒、食品を売る市場が1ケ所があったとされている。


政治や産業以外にも、

当時の服装やヘアスタイル、宗教、教育、建築、文学、演芸についてなど

興味深い記述、記録が満載の一冊だ。


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プロフィール

バッタンバン長

Author:バッタンバン長
カンボジア王国バッタンバン在住、バッタンバン長です。
バッタンバンを中心に、開発援助業務、大学講師、社会調査、日系企業進出・投資のお手伝い等をやっております。
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