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バッタンバンで晴読雨耕

バッタンバンを中心としたカンボジア北西部の情報ブログ-大学教育、地雷、農業、開発、投資に関する話題から ホテル、レストラン情報まで

 

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カンボジアの「コミュニティ」

「コミュニティ」という日本語は現在どの程度一般的に用いられているだろうか。
どの時代、どの世にもあるもののようでありながら、
同様の概念を示す言葉である「地域社会」、「共同体」やと比べても、
英語が語源の「コミュニティ」が一般的と思われる。

さて、カンボジアにおける「コミュニティ」を考えた場合、
メイ・エビハラという日系アメリカ人の文化人類学者の名前が最初に上がって来る。
1960年代にカンダール州のスワイ村で行った調査と
これを基に執筆した博士論文(コロンビア大学))「Svay, a Khmer Village in Cambodia」により
その名が知られることとなったエビハラは、
長くカンボジア農村研究の第一人者と目されてきた。
2011年に出版された
「Anthropology and Community in Cambodia – Reflections on the Work of May Ebihara」は、
エビハラに影響を受けた研究者らが寄稿を集めた一冊で、
これからもその存在の大きさがうかがい知ることが出来る。

この本の第5章、
「A Tale of Two Temples: Communities and their Wats」(著者:Judy Ledgerwood)では、
カンボジアのコミュニティに係るエビハラの学説とこれに対する反論が紹介されている。
エビハラの説は、
カンボジアのコミュニティとワット(寺)を中心とした共同体であるというもので、
コミュニティとワットは対の関係にあるというものだ。
上述の「Svay, a Khmer Village in Cambodia」で示された観方である。

クメールルージュ後のカンボジアの農村(コンポントム州)で実施した調査に基づき、
これと異なる説を示したのが京都大学の小林知だ。
小林によれば、
エビハラの説はコミュニティの流動性を無視したものであり、
現代のカンボジアの農村においては人々とワットの関係はより複雑であるとのこと。
コミュニティとワットの関係は必ずしも対ではないことを示唆するものである。

両者の議論はそれなり説得力のあるものだが、
2000年代以降カンボジアに暮らす者としては、
小林の説のほうがより現実に近いと感じている。

10年程前に訪れたラタナキリ州の村は、
コンポンチャム州のクメール族が集団で移住し出来たばかりの場所であった。
住民らが移住後に自分たちの家を建てた後に最初にやったことは、
村にお寺を作ることであった。

コンポンチャム州の比較的近い場所に暮らす人々が、
同じ目的(農業)のために移住したことから、
地縁や移住目的が統一されており、
「コミュニティ」づくりがスムーズに進んだケースであると思われる。
これはエビハラの議論の延長線上にあるものであろう。

他方、内線後にバラバラと人が住み始めたバッタンバン州の村では、
行政上の長である村長はいるものの、
村内に寺はなくコミュニティの結束が弱く、
開発プロジェクトが行われる際にトラブルが生じたりしている。
小林の議論とは少し異なるかもしれないが、
内線後のカンボジアの「コミュニティ」の複雑さを示す例と考えられる。

開発の世界において、
「コミュニティ参加」などという言葉が使われることがあるが、
比較的統制の取れた組織体としての「コミュニティ」があることが前提になっていると思われる。
「コミュニティ」の定義が変われば、
開発のアプローチも必然的に変わってくるはず。
文化人類学者や社会学者らによって進められてきた議論は、
カンボジアの開発に関わる者にとっても非常に重要なものであると言えよう。

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人身売買の被害者

人身売買という言葉を聞くと、
女性や子どもが被害になっていると考えられている。
実際、そうした描き方をするマスメディアや援助団体も多い。

しかし、
カンボジアの地元マスメディアはそうした印象とは違った現実を伝えてくれている。
多くはタイに売られ、
逃げ場のない漁船で働かされていた被害者に関するものだ。

最近、Phnom Penh Postが報じた統計で見ても、
カンボジアにおける被害者の多くが男性であることが分かる。
2011年から2014年までの間、
International Migration Organisationが支援した被害者の88%、
USAIDの対人身売買プログラムが支援した被害者の59%は男性(少年含む)であったという。

これを報じた記事は、
「Services for trafficked males ‘lag far behind’」
(人身売買被害の男性への支援が遅れている。)
と題されている。
男性が被害にあっているという事実だけでなく、
彼らに対する支援が女性に対するそれと比べ不足していることを指摘するものだ。

「カンボジアの子どもたちに〇〇を。」
「貧しい女性の自立のために〇〇を。」
といった文言は確かによく目にするが、
「カンボジアのオッサンのために〇〇。」
という言葉は聞いたことがない。

援助とマスメディアについて書いたことも、
当たっているように思う。

いずれにしても、
本気で問題の解決を考えるのであれば、
まずは、問題の定義と分析をしっかりと行った上で、
その対策について検討されるべきであろう。

 

援助とマスメディア

少し前の話になるが、
人権活動家として知られるSomaly Mam、
そして彼女がトップを務めて来た財団に関するニュースがマスメディアを賑わせていた。

かいつまんで言えば、
自身が被害に遭った経験を基に人身売買の撲滅に取り組んで来たSomaly Mamが、
その経験を含め、これまでマスメディアや支持者に向けて行った発言について疑義が浮上、
最終的には自身が設立した団体が閉鎖に追い込まれる事態となったという話。
(アメリカで彼女の名を冠した新たな団体が設立されるそうだ。)

一部ではある種の驚きを持って受け入れられていたようだが、
カンボジアのマスメディアを追ってきた方たちにとっては、
それ程驚きではないのではないようにも思われる。
国際的な注目、脚光を浴びる一方、
国内では否定的、懐疑的な見方も少なくなかったためだ。

問題の詳細については様々なところで紹介されているので、
ここでは割愛するが、
報道を見ていて考えさせられるのは、
援助とマスメディアの関係である。

援助を行う組織が資金を得るためには、
その分野における課題やそれに対する取り組みを世に知ってもらう必要がある。
マスメディアが発行部数やリーチ数を上げるためには、
それを上げるためには感動的な話や刺激的な話が必要となる。

Global Postのインタビューに応じた際のソマリーの元夫の発言は非常に印象的である。
“When you work in this world, you know fabricated stories are used by everyone to get funding.”
(資金を得るために作り話をすることは、この業界にいる者にとっては当たり前の話だ。)

援助する側がこうしたストーリーを上手く利用している部分もあろうし、
マスメディアがこうしたストーリーを欲しがっている部分もあるであろう。
何よりも感動や刺激を求める私たちがいるのだ。
(日本の耳の聞こえない作曲家や、
ポップな女性サイエンティストの話にも通ずる話だ。)

いずれにせよ、
マスメディアに注目され有名になった分だけ、
落とされるときもニュースになるというのは皮肉な話である。

そんなことを考えてるうちに、
2003、2004年にCambodia DailyPhnom Penh Postに掲載された記事のことが思い出された。
やはり人身売買に関する記事で、
以下がそのまとめである。

①Thomas Steinfatt(王立プノンペン大学、コミュニケーション学)が行った調査によれば、
カンボジアには約18,000人のセックスワーカーがおり、
このうち約2,000人(注1)が人身売買によって強制的にその仕事に就かされている。
SteinfattはNGOが引用する80,000~100,000人という人身売買被害者には根拠が見当たらず、
資金集めのためにこの数字が利用されていると指摘。
(注1: Phnom Penh Postでは約2,000とあるが、実際の報告書では2,488名となっている。)

②Somaly Mamらが設立したAfesip等人身売買の問題に取り組むNGOはこれらの数字は少なすぎると反発、
人身売買の定義を広げるべきと主張し、
Steinfattがバイクタクシーをその助手として使われた調査手法についても妥当ではないとした。
また、セックスワーカーだけが人身売買の被害者ではない点も指摘した。

③Steinfattは調査がセックスワーカーのみを対象として行ったものであり、
客を連れて行く立場にあるバイクタクシーこそストリートワイズな情報提供者であるとした。

この議論から10年が経つが、
未だに数字に関する議論は決着が着いていない。
マスメディアの注目度の割に、
問題の本質に対する対応が十分だったのだろうかと考えてしまう。

数字、規模の如何に関わらず、
そこに被害者がいるのであれば支援は行うべきというのも議論もあろう。

しかし、具体的な援助・支援を考える場合、
問題の定義や規模、その背景を考えるのはやはり重要なはず。
さもなくば、 効率的・効果的なアプローチが取られない可能性も大いにあり、
目的(問題解決)と手段(資金集め)が混同される結果にもなりかねない。

援助とマスメディアの関係、
そして感動や刺激を欲しがる我々の在り方については、
また機を見て書いてみたいと思う。

(追記)
5月30日、6月1日と立て続けにPhnom Penh Postに関連の記事が出ていた。
いずれも批判的な内容である。
また、6月10日には児童買春に関するあらたな調査結果に関する記事も出ていた。
調査結果を巡って見解が分かれているのは、
10年以上経った今もやはり変わっていないようだ。

 

貧困ライン

カンボジアの貧困層とはどれ程いるのか?
貧困ラインとして1日〇ドル以下といったものを耳にすることもあるが、
実際はより細かく規定された様々な指標が存在している。

ADBがまとめた「Cambodia Poverty Analysis 2014」は、
様々な指標を用いた分析を行っており、
カンボジアの貧困を理解するのに非常に役立つ。
最近見た統計の中では一番よくまとまっているものだ。

カンボジアでは、
政府、世界銀行が用いる貧困指標が最も代表的なもので、
いずれの指標を用いた場合でも、
2007~2009年に貧困率が下がっており、
総じて改善傾向にあるとされている。

同報告書には、
PPPベースの1日○ドル以下というデータも収められている。
これによると1.25ドル以下で暮らす人は減って来ているものの、
2ドル以下、3ドル以下となると2009~2011年には増加を示している。
(PPPベースのため実際の金額はそれぞれの数字以下となる。)

政府、世銀、PPP指標のいずれを用いた場合でも、
貧困ライン以下に暮らす人々の多くは農村地帯に暮らしているとされており、
この10年ほどその割合に大きな変化は見られていないそうだ。
貧困ライン以下の人々の約9割が農村部に住むという。

これら3つの指標が、
支出ベースでまとめられているのに対し、
Oxford Poverty and Human Development Initiative (OPHI)という指標は、
教育や衛生も含めたより包括的なものとなっている。
これに基づけば46%が貧困ライン以下となるそうだ。

支出ベースでまとめた指標の問題としては、
借金でまかなわれた消費も含まれてしまう点が挙げられる。
この点については、
ADBの報告書でも考察が行われてはいるが、
明確な統計は示されていない。
借金をして消費をしている世帯も少なからずいると考えられることから、
貧困世帯の実像はより複雑なものであるはずだ。

カンボジアは貧困のイメージがいまだに強いが、
その実情を理解している人はそれほど多くないように思われる。
ADBの報告書は、
ウェブサイトよりダウンロードができるので興味のある方には一読をオススメしたい。

 

農業技術指導

カンボジアにおいては、
日本を初めとした「先進国」による農業指導が様々な形で行われている。

言葉は悪いかもしれないが、端的に言って、
「原始的」な農業が行われているカンボジアで、
「先進国」の技術を活かし、
生産性を向上させるといった趣旨のものが多い。

カンボジアの農法が日本とは違い、
非常にシンプルなものであることは間違いない。

しかし、実際の成果となると、
思い通りにはならない場合が多いようだ。
何故だろう?

私見ながら、
一番の問題はインプットを増やす農法にある。

日本では、
米や野菜は手間隙をかけてつくるものというイメージがあるが、
それが受け入れられない事情があるのだ。

決して、カンボジアの農家が怠けているという話でもないし、
おいしい作物を作りたくはないという話でもない。
天候や市場の変化というリスクに対し
全くの保障がないカンボジアの農家にとって、
手間隙をかけるということはリスクを更に大きくすることになりかねないのである。

例えば、
手間をかけて田植えを行っても、
日照りで稲がやられてしまえば、
もう一度やり直しをしなければならなくなる。
手間をかければ収量が上がるにしても、
収穫できなければ何の意味もない。
(天候の波が大きいこの数年は特にそうである。)

結果、新たな農法は実践されず、
「原始的」な農法が継続していくこととなる。

また、労働力の問題も無視できない。
多くの農村の働き手はタイへ出稼ぎへと行ってしまっている。
安定した現金収入を得られるのだから、
自分たちでやる農業については最小限の投資(資金、労力)とし、
出来るだけ長い時間タイで稼ぐというのは賢い選択であろう。

無計画なように見えて、
農家さんたちは経済効率性に見合った選択をしているように思われる。

保障を含めたより包括的な農業政策や、
経済効率性に配慮した農法が必要ではないだろうか。

 

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プロフィール

バッタンバン長

Author:バッタンバン長
カンボジア王国バッタンバン在住、バッタンバン長です。
バッタンバンを中心に、開発援助業務、大学講師、社会調査、日系企業進出・投資のお手伝い等をやっております。
お問い合わせ等は、下のメールフォームからお願いします。

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